TAKAの撮り撮り日紀

銀塩写真機とデジ一眼レフを背負って、史跡スポットなど見て歩き!最近はミニバンを駆って.. 遠乗り&車中泊などと.. にわか旅人もどき?

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大河ドラマの地を訪ねて(7)

朝起きて、、空を見て!?行ってみよっか!
山本勘助ゆかりの地といえば、言わずと知れた富士宮、、例によって、突如決行・・
行って来ましたよ~ ここは花倉城址~朝日山城散策・・以来、身延や諏訪など、いずれは行かねば!と気になっていた場所だし?

で、、あらかじめ確保してあったガイドペーパーを頼りに・・早速散策を始めるって、歩きは苦手だから車のまま、お奨めコースも良い
スタートはオッターくんを駐車した浅間大社南の「富士山せせらぎ広場」大きな鳥居や、富士山の伏流水が飲めそうな小川も有るし!
なにより大きな無料駐車場があって、、富士宮へ来る時は何時もここへ、、おなじみさんです。
富士宮駐車

富士宮焼きそばで腹ごしらえしながら、付近の状況把握など作戦をと・・ 歩く?・・ そりゃごめんだってば?! 現在位置は左上に!
(ガイドペーパー表側)
勘助パンフ表

ガイドペーパーには道が狭いから自動車は適さないっ!とあるが、、ダメとは書いてない? 何とか歩かせたい? 車で行っちゃえー!
ときにお目当て! 何処から行こうかな~・・
(ガイドペーパー裏側)
勘助パンフ裏

最初はここ、山本八幡宮!へって、迷ったけど案外簡単に行けた・・
あれ? 大々的なPRの割りには意外に小さいなー、、あれれ?裏はゲートボール場だよ、トホホ、、最初からちょっと拍子抜け・・
もっとも、地元山本の名士とはいえ吉野家初代「貞倫」個人が創建したという事で、大きさにかかわらず大変なものだ・・
山本神宮1

もう1枚、、誰も居ないので、間違えたかと・・なんたって訪問者は我等だけ、オッターくんも、まんま境内に踏み込めたりラッキー?
山本神宮2

今日の本命!「山本勘助誕生の地」、、吉野家に到着、、そばに見学者専用駐車場があるので、ここに駐車してゆっくりと拝見した

正面に瀟洒な長屋門、左手に勘助誕生の碑がある、右に回って裏手には池のある庭が、裏は吉野本家の現在の住宅になっている
当時の住宅は焼失してしまったと言う・・
勘助生家1

門前の坂の端にこんな碑が立っている、山本勘助の誕生の地であることのアピール? なぜか他にも宣言している地があるから・・
勘助生誕の碑1

裏側が納屋代わりになった長屋門や前庭の池を含めて、じっくり見学出来る・・ 吉野家ゆかりの品々も多く、見ごたえがあった・・
その長屋門、あちこちで見るが、民家仕様??比較的小振りだ、ここの左手に「山本勘助誕生の碑」がある、
吉野家長屋門

これが長屋門の脇にある、勘助誕生の碑です、裏に書いてある碑文が興味深い! 後の世、、大正13年に建てられた記念碑です、
勘助生誕の碑2

碑文にはこんなことが記されている・・特に、、この地の地名が興味深い・・
勘助誕生地の碑文

続いて、近くの石積みの上にある吉野家の墓地へ、勘助の母親、安女のお墓を訪ねた、左の小さな墓碑がそれ、右には解説碑が
建立され、勘助の母親、安女のお墓であることが記されている。、
母の墓碑

お参りをして、次の勘助坂へ向かう、距離が2Km近くあるので、車に戻って・・ オッターを駆って、、急な登り坂!うわー狭い~って
ガイドペーパーに車不可って書いてあるじゃん、一旦降りて歩いて拙攻に出る、ゼイゼイハーハー、、遠いよー!? でも通行人は
ゼロだし、行っちゃえー、、オッターに頼んで強行突破、、
勘助坂1

ここまでも狭い道だったけど、勘助坂はなお狭い、それに急坂急カーブ、、当たり前だ、ほんとうは歩いて通る道だもん・・ 結局通り
抜けた・・ ガイドとは向きが逆向きのようだ、、降りたら山際の住宅地、、もっと狭い道が続いて、、冷や汗もの、、ようやく石の宮橋の
たもとへ出た、、迷わず右折!!
勘助坂2

いやはや狭くて急坂で、すごい道でした、こりゃ通行注意どころか不可っといいたげで、軽四仕様の茶畑農道・・慣れてるはずですが
少々難儀しました、、
で、本日の最終目的地は、ここ・・ ここにある木像が見たくて登って来ました、、山門は平成12年新築とあってピカピカに新しい、、
代信寺1

早速、住職殿にお願いして、木像を見せていただく事に、玄関から本堂に上げていただいて・・ 向こう正面がその本堂です、
代信寺2

これがその木像、左が「父・貞幸」右が「母・安女」の木像だそうです・・ 参考までに木像の前の記述を原文の通り転記しておきます、
:山本勘助の両親の像として伝えられているこの木像は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃寺となった石ノ宮の宋持院
から檀徒の依頼により、代信寺に移されたものである。山本勘助の木像である、祖父・貞久の木像である、または、両親(父・貞幸、
母・安女)の木像であるとする説があり、それぞれ見方が異なっているため断定は出来ないが、二体あるところから考えると、勘助や
祖父・貞久と見るより、両親と見るほうが自然なのかもしれない。なお作られた年代、作者ともに不明である。と、以上原文の通り、
父母木像

そう、、山本勘助の両親の像とされる木像です、が、諸説があって「山本勘助本人」説「祖父・貞久」説や「父・貞幸、母・安女」説など
定かでは無い1面もありますが、ここでは”山本勘助の両親の像”と聞きます・・ 秘仏ゆえ、当然住職殿に撮影の許可を頂きました!

と、ここまでで今日のにわか散策はおしまいですが、代信寺を後に、帰途についたとたんに現地が岩本山公園の入り口付近だった
事に驚きました? なんだ、こっちから来ればよかった、、は後の祭り・・ いやー!!久しぶりに歴史散策を堪能させて頂きました。。
  1. 2007/06/20(水) 17:09:19|
  2. 歴史散策
  3. | コメント:2
<<石部.Tn坑門が崩落!続報 | ホーム | 林道の向こうでSLに会った!>>

コメント

はいーそのご利益で!

いまやここも全国区、焼きそばとつるんでしっかりと売込みですね、、とは云え、なかなかの見所でしたよ・・
見ておいても損はないです?

しかし、まだ山梨方面へは、、行ってませんが・・ 時間の問題かな~ うっ真田、六文銭・・ そうですよねー!
  1. 2007/06/20(水) 20:47:58 |
  2. URL |
  3. TAKA #mQop/nM.
  4. [ 編集 ]

大河ドラマのご利益?

今をときめく山本勘助生誕の地ですね。
武田24将にはいっていますが、以前は歴史学者からは実在が危ぶまれた武将です。
今は、実在したとことが定説になっていると思います。

この時代は、魅力的な武将が多いので楽しめます。
真田氏もドラマにならないかな?
  1. 2007/06/20(水) 18:00:24 |
  2. URL |
  3. Dora #-
  4. [ 編集 ]

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