TAKAの撮り撮り日紀

いにしえの、お気に入り写真機と 新世代のデジ一眼を背負って、ご近所の史跡スポットなど気ままに見て歩き!最近はお気に入りのミニバンを駆って.. 遠乗り&車中泊などと.. にわか旅人もどき?

大河ドラマの地を訪ねて(2)

2月4日の "NHKの大河ドラマ" 「風林火山」を見て自宅近くの今川氏の「花倉城跡」を訪ねた事は前編に書きましたが、
そのいわれの・・ 今川氏輝が死去し次男の良真と三男の義元との間で家督相続争いとなり、これを花倉の乱と云い・・
ここのところが気になって、勢い余って? そのまま今川氏の菩提寺を訪ねてみました、位置もさほど離れていないので!

厳密には、大河ドラマ「風林火山」と直接関係はないのですが、まあそこはそれとして まずは「長慶寺」ここは正面です・・
こじんまりして、それでいてよく手入が行き届いた丹精なたたずまいです。
長慶寺正面

正門石柱の右手に「今川康範菩提寺」の碑があります、実際はお隣の卵型の碑が重要なのでしょうが、、読めないよ?
長慶寺今川

こじんまりした本堂の前を横切って、赤いのぼりの向こうの墳墓の区画へ向かいます・・
長慶寺本堂

この一角に駿河今川氏ゆかりの一族の墓碑が集められ、まつられています、右手には案内板が設けてある、
康範雪斎墓

駿河今川氏 第3代当主「今川康範」のひときわ大きな五輪搭と意外に小さな今川義元の軍師「太原雪斎」の無縫搭が
並んでいます、
五輪無縫搭

無縫搭が見えにくいので、この角度でもう1枚、右手の卵型の無縫搭が太原雪斎長老のものと伝えられていると・・
五輪無縫2

両者のゆかりや、搭の説明があります、案外見慣れた五輪搭と無縫搭ですがその意味を初めて知りました・・
案内表示板

こちらは徧照寺(旧遍光照寺)全景です、先に訪ねた「長慶寺」に比べて現役ながらさびれ気味で昔の面影は皆無と言う
花倉の乱で義弟の義元に反旗を上げ戦いを仕掛けて敗北した 義元の腹違いの兄、玄広恵探(良真)は当時この徧照寺
の住持で在ったと言う、
かって代々の住職を今川氏が努めたと言うこのお寺・・ 前の方の平地には今川氏の館があったと伝えれるこの地、、花倉遍照寺1

なお寺名は実際のお寺の看板に書かれている通り「徧照寺」でありネット等の記述「遍照寺」ではない事に注意されたし
また「徧照寺」とは現在の寺名で、今川良真が住持した当時は「遍照光寺」(徧でなく遍が正しい)だった事を付記します。
花倉遍照寺2

墳墓です、あの大今川氏のそれなのに、何か悲哀を感じます・・ 敷地の隅にこの一角だけがぽつんと忘れ去られた様に
もの寂しいたたずまいです、背後に大きな説明板が建ててあるのがなおさらに・・
範氏氏家墓

左が駿河今川2代当首今川範氏公の墳墓:五輪搭です、
範氏公説明

そして右が今川範氏の嫡男今川氏家公の墳墓:五輪搭です、
氏家公説明

はからずも駿河今川氏の系譜を辿るさきがけの散策となった、もとより駿河今川氏はこの後、この葉梨郷:花倉の地から
駿府に移って行く、、後はご存知の如し・・ それにしても昔の栄華はどこへやら・・ なんともはかないものですね。

ほんとうは花倉の乱で、勝利した梅岳承芳(義元)はともかく家督争奪に敗れ 同じ藤枝市、瀬戸谷の普門寺で自刃した
と言う今川良真「玄広恵探」の行方を辿って見たかったのだが思惑が外れて・・ これは改めて散策という事にして、、

コメント

灯台元暗し!同感です・・

:ナベショーさま
早々にご覧頂きありがとうございます。
「玄広恵探」のお墓・・ 未発見は残念でしたね、、位置は瀬戸ノ谷だそうですね? 見つけたらお教え下さいね!
小生が見つけたら、もちろんここにUPしますね、、

こうしてみると大河ドラマもなかなかの刺激剤!意外な効能に感謝感謝です・・
去年より今年の方が発症も早く症状も重たい様で・・ この分では富士郡や信州方面は時間の問題になりそうです、、

でも、まずは地元の、藤枝島田に駿府あたりからですかね?
そうですね、、何処かでお会いするかも知れませんね? その節はどうぞよろしく・・

灯台元暗し、、藤枝の近所の目立たないお寺や城跡が、今川の歴史の重要な史跡だったとは、私も最近まで知りませんでした。
今川家といえば、義元が信長にあっけなく討たれたことぐらい、、、、。
静岡のこの辺は、山あり川あり、海あり、、で住みやすいところで気に入ってます。
また、お伺いします。

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