TAKAの撮り撮り日紀

 いにしえのお気に入り写真機と新世代のデジ一眼を背負って、ご近所の史跡スポットなど気ままに見て歩き!

磯浜トンネル の解

旧東海道 :第九回目 街道のトンネルに原風景を見た? (石部/磯浜トンネル編) 50年ぶりの再会!の 巻きかもで!
:前編の「石部/磯浜トンネルの謎」は、思わぬ展開をみせ!一気に解けました・・・ 思いがけない出会いに助けられて! 

これが今回の主人公!「旧磯浜トンネル」(現在の石部トンネル)焼津側:小浜坑門です、蒸気機関車の煙で黒くすすけた
坑門の姿は、明治22年の竣工当時とさほど変わっていないようです・・・ 周りが無造作に!柱だらけになった他は・・・
<<画像はクリックすると大きい画像が見られます>>
磯浜小浜坑門

前編の謎の答え:磯浜〜石部トンネルの線路敷道路はアイオン台風の被害での”坑門崩落後も引き続き往来出来た!”
つまり、東海道本線が日本坂トンネルへ移った昭和19年からまた戻ってくる昭和37年までの18年間!旧線の線路敷を
使ったこの道路!「石部坑門の崩落」による通行止め等はなくその後も自由に往来出来た・・・ 当然!筆者も何の問題も
なく通リ抜けられたはず”であった!! なにしろ50年も昔・・・ ここから車で進入して・静岡側へ抜けたのですから

何が謎?や、お話の背景などは恐縮ですが、前編「磯浜トンネルの謎」編を御覧下さい! 問題のトンネルの場所はここ
:現在の名前は東海道本線「石部トンネル」です、地図上では「1本」ですが、上下線が別々で並行して2本あり
ます・・・

竣工当時からの静岡側(石部)と焼津側(小浜)の両坑門は残され、海岸寄沿いにあった、石部と磯浜の坑門は共に廃棄
されました・・・ これをバイパスするルートで、残の部分を約160mほど山側に掘り直さして継ぎ目なしの1本!(複線)と
して、現在も現役で活躍しています。

謎解きのきっかけは、この件であれこれと調べて回っている内に、焼津市の「市史編さん室」に出会った事! 親切な編さ
ん委員の方のアドバイスを皮切りに、次々に有力情報が見つかって・・・

1)写真発見 :焼津市「市制五十周年記念写真集」『やきつべ』(市史編さん室編さん/発行)の中で:磯浜トンネルを出て
疾走する蒸気機関車!:崩壊前の石部トンネル2つの坑門!:磯浜側から見た両トンネル間の風景!:崩壊後の石部の
海側坑門!など・・ 数点の貴重な写真を発見した!! これが決定的な状況資料になりました!

2)重要人物 :発見した写真を頼りに現地を歩き回って、願ってもない人物に遭遇! なんとなんと!当時から現地に
お住いになって居られる方にお会い出来て・・・ 当時の詳しいお話をふんだんに伺う事が出来ました!

1枚目の写真!「磯浜トンネル」を出て疾走する上り列車です! 上の写真と反対側の位置です・・でも撮影はずっと昔で
複線化が完成した、明治44年以降の写真です! 今となっては幻の磯浜トンネルの写真は貴重中の貴重な写真!

(写真集 『やきつべ』より:大崩海岸を走る蒸気機関車:明治末期 萩原昌明氏蔵(写真ハガキより))磯浜トンネルとSL

2枚目は、な・なんと!石部トンネル坑門・・・ もちろん磯浜側です・・ うわっ!ボンネットバスが走っている・・
別の情報でも当時ここを私鉄(静岡鉄道)の路線バスが走っていたはず、ともいう情報もあったので、これはしたり!

これこそ捜し求めた1枚です・・・ 2つ並んだ坑門・・ 後に崩落する海側の坑門もまだ健在!しかも杭柵で通行が遮断
されているのが分る!また山側の上りトンネル坑門だけに「わだち」があって!上り線側だけ”で往来していた事も分る、
後に海側坑門が崩壊してもこれなら往来は続けられたに違いない・・・

(写真集 『やきつべ』より:旧線路敷を走るバス:石田勇氏撮影) ※注 『やきつべ』には昭和30年頃と記載があるが
アイオン台風による海側の坑門崩壊は昭和23年なので、この写真はそれ以前の撮影と推定される。
石部Ton坑口

3枚目はまさに決定打!磯浜トンネルから石部トンネル方向、海岸と護岸堤、鉄道道路?それに山の中腹に民家と
脇を通る県道(静岡-川崎線:現在の国道150号線)”川崎”は榛原の事)が見事に撮影されている!この県道は土砂
崩れで不通になることが多かったという、後ろに県道に続く石部の洞門が、、遠くに日本平も見えるている・・・
このお宅は当時は割烹旅館を・・現在は同じ位置でレストラン&喫茶店を営んでおられます :後にそうとは知らずに偶然
訪問して・・・ 謎が一気に解ける事になる!とは・・つゆ知らず・・・
 
貴重なカラー写真! それまでカラーの定番?彩色写真ではありません! 所蔵されている方のお話では、リバーサル
フィルムで撮ったそうで、この時期では大変難しい技だったそうです、写真機は流行の二眼レフかな? 腕に自信あり!
は明らかに当時のハイアマチュア写真家の撮影です!

(写真集 『やきつべ』より:鉄道敷の道路:昭和29年7月 鎌田茂氏蔵)磯浜Ton付近

4枚目は証拠写真? 昭和23年9月15日のアイオン台風で崩壊、傾いた石部トンネル海側の坑門です! 割れて滑り
落ちてはいるが、この時点では海岸までは落ちてはいません! この状態で一旦は落ち着いた様です、また坑門周囲に
杭柵があるのが見えます、崩壊前の黒い杭柵(枕木?)と崩壊後の新しい杭柵が見えますね、崩壊前から通行止めだっ
た証拠かな? 撮影年月は不明? 崩壊面の石垣が洗われていない点から見て、崩壊直後の撮影か?

(写真集 『やきつべ』より:崩落した東海道本線の旧トンネル:撮影年不明 八木秀也氏蔵)石部崩壊23

同じ場所の現在の姿です!海岸の浸食によって、足元をすくわれ・ 転がり落ちて更に2つに割れた坑門! 崩落の経緯
が良く分りますね!もはや無用の坑門は何が起きてもNewsネタにされず、、気が付いたらこの姿!!なんとも無残な
お姿です!

坑門部分は赤レンガのチューブ状になっていて、背後にもう1段、強固な石垣のバッフルが作られています・・この石垣は
しっかり下の岩盤?まで達していて、この場所の地盤がらみの建設の難しさを物語るのかもしれませんね?波打ち際から
の距離にも注目!すぐそばまで波が来てる!
石部崩壊現場

実は写真を入手したあと・・石部トンネルと磯浜トンネルの間の空間を、どうしてもこの眼で見たくて居てもたってもいられず
切り立った崖の斜面を這い回って現地へ降りる道を探索!・・ 
結局見つからず、疲れはてて汗だくで立ち寄った崖の上の喫茶店!ご主人に訳を話して、上の写真を見てもらったら・・・

あれっ! この家は・・うちだよっ? ありゃー、なんとあの写真に写っていたお宅にたどり着いていた!全くの偶然です、
これには、両方ともびっくり!ご家族までお出ましで、たちまち昔話を! 謎はすぐに・スラスラ、あっさり解けてしまった! 

ご主人に海岸へ降りる獣道を教わって、現地へ入ってまたまたびっくり! 石部トンネルの坑門だけでなく、線路や道路
が通っていた線路敷の平地までが、完全に侵食されて、海岸沿いに続いていた護岸堤の石垣の残骸が浜辺に散乱して
いる・・なんと無残な! 唖然としてしばし静観!
坑口全景

残った下り線の坑門を下から見上げると、これまた哀れ、なんともいたわしく無残なこと言葉もない!! これが・・ 
かって東西の大動脈!文明開化のあの時代をになった、東海道本線のトンネルのなれの果てとは・・ いくつの人生、
どれだけの貨物がここを行きかったことだろうか?・・ あまりにも残酷なお話じゃありませんか?・・勿体無い事です!
石部港口

前編では海上橋側から遠くの現地を見ましたが、今回は逆に現地から海上橋を見ると・・ 一面に崩壊、浸食が進んで
いる事が分ります、崖の上の国道150号線は・・ 大丈夫かなー、、
海上橋側

反対方向の磯浜トンネル側を見ると・・・ 汽車が走っていた平らな土地が磯浜トンネルの坑門横あたりまで(巾100mx
800m位)続いていたはずなのに! 海岸沿いに続いていた、護岸堤の石垣の残骸が浜辺に散乱している、護岸の改修
をして欲しかったなー、私有地にしてしまったので手が入れ難いのかな? ここもなんとも・・無残な事!
磯浜側遠景

磯浜トンネル2つの坑門はこの上の方になる、石部トンネルのそれよりずっと山側へ入っていて残っている護岸堤の向こう
側の上?なのですが・・・ 今は埋められてなくなったと聞いて、いささかがっかり! きっと現存していると思って来て
見たので・・・ でもこちらには赤レンガの残骸はない! 
磯浜トンネルの坑門は崩壊してはいないぞ! 発掘される日がくるといいけどなー!
磯浜坑口

ここが磯浜トンネル坑門のあった場所です、上の写真の護岸堤の山側です、手前に見える線路で出来た柵までが線路敷
だったところ・・ここを右方向にカーブしながら汽車が通っていて? その先に2つの坑門が待っていた・・・ 
と想像するしか手だてがない!

なぜかここだけが私有地になってしまって、しっかり埋め立てられてしまって、坑門はこのあたりの地中に眠っているの
かなー? しかし少し坑門より奥のトンネルの部分は、ずっと先で現役の石部トンネルと合流しているはずなのだが?
いずれにせよ行方不明?・・・ とても残念です、
磯浜坑口上側

前編にある危険な海上ルートでなく、崖を降りる獣道?を伝って、崩落現場に降りることに成功 したものの!なんとまあ
あまりにも無残な現地の実態を見てしまったので・・本編の謎解きとは、直接関係がないのですが・・・

話のターゲット、旧石部トンネルの坑門関連の「特記情報」!として護岸堤等、海岸線の崩壊状態の実態や写真をUPして
おきます。

なお、このページの著作権はページ管理者に帰属します、よって写真を含む一切の転載や、直リンクを堅くお断り致します
ご承知下さい。

但し2枚目〜5枚目まで4枚の写真は、表記の通り、焼津市の市史写真集『やきつべ』からの写真です、著作権は各々の
所蔵者殿に帰属し『やきつべ』の編さん/発行元である焼津市「市史編さん室」殿の管理下にあります、

もちろん当ページでは「市史編さん室」殿、並びに各々の写真の「所蔵者」殿の承諾を頂いて掲載しています。

※最後になって恐縮ですが、お忙しい中で数々の貴重な情報を頂いた焼津市「市史編さん室」の皆様に、この場を借りて、
厚く御礼申し上げます、ご協力をありがとうございました。

また、「市史編さん室」編さん/発行による焼津市「市制五十周年記念写真集」『やきつべ』を、本編の有力な参考文献と
して活用させて頂けた事を、重ねて感謝致します。

なお更に詳しく・・総集編として、本家HPの「ご近所散策」の「街道で出会ったトンネル達」へUPしました、かなり重複し
ますが、視点を変えて・・ どうぞこちらも御覧下さいませ!

  1. 2005/08/15(月) 17:24:26|
  2. 石部磯浜
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10
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コメント

かず様へ

かず様
返信、大変遅れてしまって、失礼致しました! 今更何を? になってしまいまして、ほんとうに申し訳ありません、

そう云えばおかしいですね? ただレンガブロックは波打ち際も少し下がったところに落ちているので、、波の影響が
ソフトなのでしょうか?
また、58年前の昭和23年の台風でいきなり波打ち際へ崩落したのではなく、かなりの期間は途中に引っかかっていたよう
ですので、この間は波に侵食されなかった? 実際に波打ち際へ落ちたのは何時なのか? 調べましたが分りませんでした、、

答えになっていないかもですが、真相は、小生にも分らないです、、

なおここのTopにも一速報をUPしていますが、
5月25日に新しい崩落が起きて、またまた様相が変わってしまいました!!現場を見に行ってきましたので、、
近々HPへもUPする予定ですので、どうぞご覧を・・

  1. 2007/06/09(土) 23:17:03 |
  2. URL |
  3. TAKA #mQop/nM.
  4. [ 編集]

こんにちは、はじめまして。昨日、坑門を見てきました。すごい感動しました。ただ、疑問なのですが、周辺のテトラなどはかなり浸食されているのに、崩れ落ちた残骸はなぜほとんど浸食されていないのでしょうか?
  1. 2007/05/01(火) 21:57:18 |
  2. URL |
  3. かず #-
  4. [ 編集]

すずさまへ

:すずさま ご覧頂きありがとうございます、、ご指摘、ごもっともです、、なにぶん明治の事!
決定的な根拠や確証はありません・・

しかしながら、筆者は抽象論ではなく、写真を提供してくださった方や、当時から現地(磯浜)にお住まいの方々への
聞き込み、実際に訪れた旧磯浜地区の現地調査での地形観察や書籍の調査、等から・・
次の理由で旧磯浜トンネルの東京側と判断しています。

:石部トンネル東京側は
1)坑門から右手の山並みがこんなに長く続いていません(国土地理院の明治時代の地図等でも確認しました)
2)上り下りの坑門はほんの少し(数十m)ずれていますがほぼ並んでいました、写真の位置なら両方が見えるはずです
(これは筆者が地元住人だった昭和35年頃(汽車通学で毎日)目視確認しています
(コンクリートエプロンで補強された現在と大差はないですが) 
:なお下記のURLに東京側の2つ並んだ現在の坑門の画像があります、

以上、あくまで個人レベルですが、出来る限りの調査の上で記述しています、もちろん明治時代を見た訳ではありません
ので100%確実とはいえませんが・・

なお追加情報として、以下のURLに画像や、本ページ以降の補充をさせて頂きました、またお尋ねの疑問への対応として
8月16日の追加ページに現地の明治時代の地形を推定するための画像を補充しました、ご参考になさってください、
かなり重複していますが、
http://taka-platz.s40.xrea.com/contents/tookaidou/tunnels/ookuzure/tunnel2.html

  1. 2007/03/20(火) 22:30:15 |
  2. URL |
  3. TAKA #mQop/nM.
  4. [ 編集]

上から二枚目の写真ですが 私には石部トンネル東京側に 見えるのですが どうでしょう?
  1. 2007/03/20(火) 21:08:58 |
  2. URL |
  3. すず #-
  4. [ 編集]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2006/04/25(火) 16:06:12 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

ありがとうございます。

:Mさま
貴重な情報をありがとうございます、”交互通行タブレット”の受け渡し!(通った小生、記憶がないです)!
また”大阪市立大学の研究拠点”の件・・ 全くの新情報です、、興味津津で拝見致しました・・

また、ご指摘のアイオン台風は昭和23年の来襲なのですが、崩壊したのは海岸側の坑門(小浜から見て右側)だけで、
車を通していた山側の1本(ご指摘の通り、小浜から見て左側)は無事でその後も継続使用していたようです、
http://www.data.kishou.go.jp/bosai/report/1948/19480915/19480915.html

なお本編の詳細は拙作HP”写真機の森”の「ご近所散策」
http://taka-platz.s40.xrea.com/contents/tookaidou/tunnels/ookuzure/tunnel2.html
にも上げていますので、よろしければ・・ ご参考までに、
  1. 2006/04/21(金) 16:21:01 |
  2. URL |
  3. TAKA #mQop/nM.
  4. [ 編集]

磯浜トンネル

たびたび失礼します。自動車が焼津から静岡までこのトンネルを通っているのを見たのは昭和30年前後の事です。アイオン台風で壊れたという写真はもっとあとの年代ではないでしょうか?また道路に使われていたトンネルは小浜の方から見て左側だったと思います。(TAKA様が通ったころは2つとも使われていたかもしれませんが?)
  1. 2006/04/21(金) 14:08:06 |
  2. URL |
  3. M #-
  4. [ 編集]

磯浜トンネル

小浜のトンネル(子供のころに呼んでた磯浜トンネルの名称)の出口に親戚のある私はこのトンネルの前で遊んだ事があります。そのころ片方の穴は道路でしたが、もう片方の穴は大阪市立大学の理学部が放射線を研究するために使っていたようです。それでトンネルは片側通行で、トンネルの入り口にトンネルに入るため権利を得る旗(鉄道のタブレット)をおいていたようです。その旗を自動車に渡す仕事がありアルバイトを募集していたような記憶があります。なにぶん四十年以上も前の事なので不確かな事を書いてしまったかもしれません。
  1. 2006/04/21(金) 13:51:13 |
  2. URL |
  3. M #-
  4. [ 編集]

ありがとうございます。

:teruさま
ご覧頂きありがとうございます、犬も歩けばなんとやら・・で、近所を歩き回って見直ししきりです、

しかし、なんでもないものでも改めて見直してみると思わぬ事情や時間が詰まっていたりで、興味が尽きませんいね、やめられなくなってしまいます、、
怠慢で更新が遅いですが、、どうぞまたおいで下さいませ。
  1. 2005/12/03(土) 23:02:19 |
  2. URL |
  3. TAKA #mQop/nM.
  4. [ 編集]

昔の構造物に興味があります
旧道や廃線跡など

ていねいに調べておいでですね
かなりおもしろいですよ

また見に来ます
取り急ぎコメントしますー!
  1. 2005/12/03(土) 14:29:38 |
  2. URL |
  3. teru #-
  4. [ 編集]

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